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リンゴの歴史が教える7つの物語

竹下大学

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品種ナビゲーター/育種家

リンゴはただの果物のひとつではありません。
人類の歴史の重要な局面に、必ずといっていいほど登場してきた特別なフルーツなのです。

リンゴは宗教画に描かれ、科学的発見の契機となり、音楽産業や コンピュータ革命のシンボルにもなりました。 さらに日本では、明治維新後の社会変革を支える作物として、 人々の生活を根本から変えていったのです。

「禁断の果実」と聞いて、ほとんどの人が思い浮かべるのはリンゴでしょう。でも、「禁断の果実」はリンゴではない可能性が高いのです。

聖書には「禁断の果実」がリンゴだとは一言も書かれていません。そもそもアダムとイブが食べたのは、「善悪の知識の木」の果実でした。

誤解を生んだ原因は、ラテン語では「悪」を意味する単語と「リンゴ」を意味する単語の発音がとても似ていたため。さらに「果実」を意味するラテン語がフランス語に変化した際に、「リンゴ」という狭い意味に代わったこともあって、“悪しき果実=リンゴ”というイメージが定着してしまったのです。

14~16世紀、ヨーロッパではリンゴはよく食べる果物として浸透していました。時はルネサンス。無数に描かれたキリスト教絵画で、イブがアダムに手渡す果実のモチーフとしてリンゴが頻繁に用いられたのです。
こうして“禁断の果実=リンゴ”が、ビジュアルとして人類全体に刷り込まれていったのでした。
なお「禁断の果実」は、「イチジク」「ブドウ」「ザクロ」「オリーブ」などが有力視されています。

禁断の果実をイメージしたイラスト

イギリス人物理学者アイザック・ニュートンが、万有引力の法則を発見したのは1665年頃。ニュートンは自宅の庭でリンゴの実が落ちるのを見た瞬間、「地球がリンゴに及ぼした力が月にも働いているのではないか」「地球と月は互いに引きつけ合っているのではないか」と、万有引力の法則を着想したと伝えられています。

世紀の大発見を手伝ったこのリンゴの木は、「フラワー・オブ・ケント」という名の品種です。17世紀初めにイギリスで発見された「フラワー・オブ・ケント」は、他の品種よりも落果しやすいという欠点を抱えており、優れた品種ではありませんでした。

ところが完熟する前に果実を次々落としてしまうこの欠点が、ニュートンにリンゴが落ちる瞬間を見せて、科学の世界に革命をもたらす第一歩になったというわけです。

もし「フラワー・オブ・ケント」の実物を見たければ、東京文京区にある小石川植物園を訪れてみましょう。1964年に英国物理学研究所から送られた枝が接ぎ木された木が、ガラス温室の前にであなたを待っています。
小石川植物園では毎年「由香里」の花粉を交配し、「フラワー・オブ・ケント」の果実を誰もが間近で見れるようにしてくれています。

万有引力の法則の発見をイメージしたイラスト

リンゴすべての祖先種とされるマルス・シエウェルシイの原産地は、中央アジア東の山岳地帯です。ここから世界中に広まったリンゴですが、日本列島には2つの経路を辿ってやってきました。 シルクロードを経由した東回りルートと、ヨーロッパ・北アメリカを経由した西回りルートです。

2つの経路を辿ってやってきたリンゴのイラスト

・東回りルートは和リンゴに

シルクロードを経て中国へ入り、中国語で「林檎(リンゴン)」と呼ばれる果物が日本に伝わったのは奈良時代のこと。直径4〜5センチ、ピンポン玉ぐらいの小さな果実は酸味が強く渋味もあり、あまりおいしいものではありませんでした。そのため広く生産されることはなく、民間信仰に組み込まれたり神事の象徴として扱われたりしました。東回りでやってきた和リンゴは、限られた地域の特産品でしかなかったのです。

明治時代になり、大きくておいしい西洋リンゴが日本でも栽培されるようになると、和リンゴの生産は一気に廃れました。
それでも長野県の「高坂林檎」、青森県の「リンキ」、石川県の「加賀藩在来」などがかろうじて生き残り、その姿を今に伝えてくれています。

さて、奈良・春日大社には、12世紀後半に高倉天皇がリンゴの木を奉納したという記録が残されています。本殿前には「林檎の庭」と呼ばれる舞楽や神楽が奉納される広場があり、東南の隅には1本のリンゴの木が植えられているのです。
ただしこの木は高倉天皇が奉納した木そのものではありません。1955年に植えられたもので、品種は「高坂林檎」です。

西回りルートは西洋リンゴに

一方、西回りに旅したリンゴは、まずギリシャやローマに入りました。そこからヨーロッパ全域に広がり、中世にはキリスト教文化やヨーロッパの食文化に深く溶けこみました。果実が大きくなったのは16世紀頃です。

17世紀になると、リンゴは清教徒とともに北アメリカに渡り、新天地でさらに大きくおいしく改良されていきました。「ジョナサン」「ロールズジャネット」「マッキントッシュ」といった、物語5で登場する品種たちもこうして生まれたのです。
なんとアメリカでは、1869年に1099もの品種が存在したという記録が残されています。

アメリカやヨーロッパから日本に導入された品種は、日本にすでに存在したリンゴと区別するためにオオリンゴや西洋リンゴと呼ばれました。けれども西洋リンゴの生産量が急増したために、西洋リンゴの方がリンゴと呼ばれ、東回りリンゴは和リンゴと呼ばれるように変わったのです。
なお、日本の環境に適した品種はほとんどがアメリカ生まれでした。

日本で西洋リンゴの生産が最初に行われたのは北海道です。札幌市豊平区の平岸地区がその場所でした。

でも日本一のリンゴ産地といえば、やはり青森県。
青森県にリンゴの苗木が植えられたのは、北海道に遅れること6年、1875年(明治8)のこと。

当時の青森県では水稲はまだ栽培できませんでした。明治維新後に職を失った弘前藩の武士たちは皆、新しい生業を探す必要がありました。そのひとつの答えが、日本に入ってきたばかりの青森の寒い冬を乗り越えられる新作物西洋リンゴだったのです。

青森県では冷害による凶作が繰り返され、飢饉が深刻な問題 でした。しかしリンゴ栽培の成功により、米に依存しない 安定的な収入源が生まれたのです。リンゴに人生を賭けた失業武士たちの努力と工夫により、青森の人々は 歴史上初めて、飢えと無縁の生活を手に入れることができたのでした。

青森リンゴの生産と消費がともに飛躍的に伸びたのには、もうひとつ理由がありました。
1891年(明治24)の東北本線開通。青森から上野まで鉄道でリンゴを送ることができるようになったためです。

青森リンゴの生産と消費のイラスト

明治時代に欧米から日本に導入された西洋リンゴは約270品種。ところが同じ品種であっても地域ごとに別の名前がつけられてしまい、混乱を招いていました。

そこで1894年(明治27)、政府は統一名称に定める決定をくだしています。

以下はその一部です。
「ジョナサン」→「紅玉」
「ロールズジャネット」→「国光」
「サマーメアメイン」 → 「祝」
「マッキントッシュ」 → 「旭」


いまだに根強いファンがついている「紅玉」をはじめ、これら4品種はいずれも1800年代前半に北米で発見された品種です。

「マッキントッシュ」は、1811年にカナダで発見され。発見者ジョン・マッキントッシュにちなんだ品種名が与えられました。
「マッキントッシュ」は生食用、調理用どちらにも向くうえ寒さに強いため、カナダ東部とアメリカ北東部では今でも最重要品種であり続けています。

おそらく気づいた人もいるでしょう。
そうです。のちにMacと呼ばれ、世界中で親しまれるようになったApple社のパソコン“Macintosh”の名は、この「マッキントッシュ」が由来なのです。

理由は、マッキントッシュの開発者ジョン・ラスキンが、プロジェクトのコードネームに自分が好きなリンゴの品種名をつけていたから。ラスキンの別のプロジェクトには、「ピピン」や「ジョナサン」もあります。

なお、「旭」は北海道で今でも生産され続けています。

そうそう、アップル社の社名については、スティーブ・ジョブズがアップルの響きやイメージが、コンピュータの硬いイメージを和らげるのに適していると考えたからなのだそうです。

Apple社のパソコン“Macintosh”をイメージしたイラスト

1968年、ビートルズは「Apple Records」というレーベルを立ち上げました。レコードの中心に描かれたのは、赤ではなく緑色のリンゴ。これこそ「グラニースミス」です。

日本でも人気の高い画家ルネ・マグリットは青リンゴを多く描いています。「Au Revoir」の文字が青りんごにかかれた絵は、かつてポール・マッカートニーが所蔵していました。このマグリットの絵から、アップルレコードの名前とレーベルのデザインの着想を得たと、マッカートニー自身が回想しています。

ビートルズは世界の音楽シーンを一変させたクリエイター集団。青リンゴと自分たちのレーベルに、彼らは「古い体制への挑戦」や「自由な創造性」の意味を込めたのです。

「グラニースミス」は、1868年オーストラリアの果樹園で発見されています。69歳のマリア・アン・スミスが見つけた「グラニースミス」は、味の良さと優れた輸送性が評価され、第一次世界大戦後に世界中で生産される人気品種になりました。

最後は、私たちにとって最も身近な品種「ふじ」についてです。

1970年頃までは、日本のリンゴ生産量の90%超がアメリカで育成された品種で占められていました。この状況を一変させたのが、国が開発した「ふじ」です。

「ふじ」は、1939年に青森県藤崎町で「国光」に「デリシャス」を交配した組合せから、生まれました。味の良さは高く評価されたものの、「ふじ」には着色の悪さと形のいびつさ、さらに果実の割れやすさといった大きな欠点がありました。
これを栽培技術で克服し、1982年には生産量日本一の品種になったのです。

2001年、「ふじ」の生産量は「ゴールデンデリシャス」を抜き、ついに世界一になったと発表されました。これ以降、「ふじ」の生産量は増え続けています。
歯ざわり、甘さ、香り、そして果汁。すべてが高水準で調和した「ふじ」は、人類史上最高の品種だと評価されているのです。

宗教、芸術、科学、産業、そして社会変革。人類の歴史のあらゆる場面で、リンゴは私たちに影響を及ぼしてきました。

 次にリンゴを手に取った時、その果実には何千年もの人類の歴史が詰まったタイムカプセルなのだと想像してみてください。
その瞬間、リンゴはより一層おいしくなるはずです。

りんごの歴史をまとめたイラスト

……知れば知るほど奥深いリンゴの世界。
この続きとも言える日本独自の品種改良をめぐる物語については、拙著『日本の品種はすごい』でもたっぷりと語らせていただきました。
旬のリンゴを味わうひととき、そのお供にしていただけたら嬉しいです。


日本の品種はすごい
うまい植物をめぐる物語
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品種改良の歴史と食文化の切り口から、果物の知られざる魅力を伝えています。

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