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起源は中国?桃の歴史【フルーツ古今東西】

光(こう)

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八百屋のお兄さん

皆さん初めまして。「フル愛」の光といいます。今が旬の桃の歴史のお話しをさせてもらおうと思います。皆さんは桃はお好きですか?つるりと皮がむけてジュワッとあふれる果汁と甘さがある柔らかい桃や、サクッとカリカリして噛めば噛むほど甘い硬い桃…僕も大好きな果物なんです。
桃というと、「桃の節句」や童話「桃太郎」、「西遊記」や桃源郷という言葉のように、僕らの日常にもなじみの深い果物です。

<フル愛について>
私たちフル愛は、“果物や食を通して生産者様と皆様が繋がって欲しい、果物の魅力と美味しさをもっと知って欲しい”という想いのもと、誠心誠意を込めたイベントを通して、果物の魅力を伝える活動をしています。

そんな桃はどこから来たのかというと、中国の北西部や中東と言われています。
歴史的には、なんと約7500年という遥か昔の中国の遺跡から発見されています。中国からシルクロードを通じて、中東経由でヨーロッパに伝わりました。日本では縄文時代の遺跡から、桃の種が見つかっていますが、もっと昔に伝わっていたという話もあります。
そのほとんどが観賞用で、食用として栽培されるようになったのは明治時代。中国の水蜜桃や、ヨーロッパの黄金桃が伝来してからです。歴史は古いのに、おいしく食べられるようになったのは最近と、面白いフルーツです。

今僕達が食べている桃というのは、1899年に岡山県磐梨郡可真村の大久保重五郎氏が、上海種の上海水蜜桃の木から、優秀な品種を発見したことから始まります。これが日本の桃の元祖ともいわれる「白桃」です。当時は温暖な地域の西日本を中心に栽培されていました。そして、品種改良とともに山梨県や福島県での栽培も盛んになりました。現在の桃の多くは、この白桃が元になっています。

世界で見ると、地域によって食べられている品種が違うのも面白いんです。ふだん目にする白い果肉の甘い桃は、主に日本と中国が好んで栽培しています。今世界で一番栽培されている品種は、アメリカのカリフォルニア州で育成された「ネクタリン」です。こちらは、産毛がなくて甘酸っぱい品種なんです。
特にヨーロッパではこのネクタリンが最も愛されています。アメリカでは、果肉の黄色くて酸味のある品種が好まれていたりと、地域によって様々ですが、世界でも愛されている果物だというのはわかりますね。

生産量でいうと、世界では約2500万トン栽培されています。そのうち、日本は約13万トンに対して、中国は1500万トンという凄まじい生産量です。消費量はイタリアやスペイン、中国が増えていています。日本やアメリカでは、年々桃の消費量が少なくなっているのは悲しいことですね。

ただ、世界的に日本の果物は注目されていて、桃もその美味しさが話題になっています。外国人観光客の皆さんが、この時期になると桃を大量にお求めになります。僕のお店でもお中元と重なって大忙しの季節です。
外国の方はもちろんですが、日本の方にも少しでも興味を持ってもらい、一人でも多くの人に食べてもらえればいいなと思っています。
次からは桃の雑学をお話していきたいと思います。

縄文人は桃を食べていた

桃の起源の中国では、桃という果物は大昔から神聖な果物として有名なんです。桃を食べた仙人が不老不死になったことから「仙果」と呼ばれています。花や葉っぱ、枝に至るまで鬼や邪気を払う効果があるといわれていました。鬼門の方角に桃の枝を飾ったり桃を植えたりと、お薬や魔よけにも使われています。
僕らがよく知る「桃太郎」の話もそうです。“桃から生まれた桃太郎が鬼を倒しに行く”という物語は、そういった文化から生まれたともいわれています。

桃というと丸い形を想像すると思いますが、中国の桃の原種のひとつに、平べったい形が特徴の「蟠桃」という面白い品種があるのはご存じですか?
一番有名なのは、「西遊記」という物語でしょう。ご存じの方もいるとは思いますが、あのドラゴンボールにも登場する孫悟空のモデルにもなった物語です。

天界で暮らす女仙の西王母が育てる蟠桃園には、3600本の蟠桃の木が植えられていました。
“手前の1200本には3000年に一度実をつけて、食べると仙人になれる。真ん中の1200本には6000年に一度実をつけて、食べると不老不死になれる。奥の1200本は9000年に一度実をつけ、それを食べると天地がある限り生きながらえる。”
という、伝説の桃園の管理人に選ばれた孫悟空が、西王母の誕生日会に呼ばれなかったのに怒って、一番奥の蟠桃を食べてしまいました。西王母の怒りを買って捕らえられた孫悟空は、三蔵法師に救われ、お供をしながら天竺を目指すという西遊記物語が始まるのです。

実はこの物語は、今の日本の「桃の節句」に深く関わっています。3月3日の桃の節句といえば、ひな祭りが有名ですよね。ひな祭りは、なぜ3月3日に行われているかご存じでしょうか?
この「節句」と呼ばれる日は、実は、季節の変わり目で、「忌み日」と呼ばれる縁起の悪い日なのです。なので、桃の節句には紙で作った人形(ヒトガタ)を自分の身代わりにして、穢れを背負わせて川に流すのが本来のかたちでした。しかし、現在ではひな人形に穢れを背負ってもらうように変わっています。

この3月3日は先ほど登場した西王母の誕生日です。西王母が邪気を払う桃を育てて、「忌み日」を守っているということなんです。他には、“三千里にわたる桃の大木の果てに鬼門があって、そこを桃の木と神様が守っている。”という鬼門のお話にも繋がっていくくらい、桃は中国や日本の生活には欠かせない果物になっています。

また、世界三大美女ともいわれる「楊貴妃」は、蟠桃を美と不老不死の食材としてこよなく愛し、宮殿の果樹園に蟠桃を植えさせて、勝手に食べたものは死罪にされた。なんてちょっと怖い話もあるくらい大切にされた果物だったんですよ。

蟠桃を美と不老不死の食材としてこよなく愛した楊貴妃

桃といえば山梨県や岡山県、福島県が有名ですが、明治時代から大正時代までは神奈川県が有名でした。一時は岡山県をも越えて日本一とされていました。当時貧しい地域だった綱島という村で作られた「日月桃」という品種が、市場でも味も香りも最高だとして「綱島ブランド」として定着していました。今の東急電鉄には桃を運ぶための路線まで作られて全国に出荷されるほどでした。

ところが、昭和初期に起きた2度の大洪水と太平洋戦争で、桃より米や麦を作れという日本軍の命令がありました。桃栽培は減少していき、桃の再建よりも地域の工業化が進んだ結果、日月桃の創始者の池谷家をのぞいて桃農家はなくなってしまいました。生産量はとても少ないですが、今でも綱島の池谷さん宅で栽培されています。長蛇の列になるほど人気なので、興味がある方はぜひSNSを参考にしていってみてはいかがでしょうか?

桃の歴史や文化は、日本やアジアではまだまだ語りつくせないほどたくさんあります。そして、自然と身近にあって親しみ深い果物です。世界的にもこんなにも愛されている果物は少ないです。

最近では、日本人の果物離れが深刻化しています。その背景には様々な問題が存在していますが、少しでも多くの方においしい果物を食べてもらえるように、興味を持ってもらえるようになればと思い活動しています。
それはもちろん味でもいいですし、生産者でもいいですし、僕のように歴史や文化が面白いと思ってでも、何でもいいのです。少しでも果物に興味関心をもってもらえれば、当たり前の食事が楽しく、よりおいしく味わえると思います。

つたない文ですが読んでいただきありがとうございました。僕たち「フル愛」は、SNSや果物のイベントを通して、一人でも多くの方に美味しさと魅力を伝えていけるように活動しています。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

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アウトドア好きで海好きな八百屋さん。日々果物バイヤーの仕事をしながら、珍しい果物を探してはニヤニヤしてます。果物の勉強がてらSNSに投稿し、微力ながら果物普及活動を行っています。

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