
ふだん何気なく食べている温州みかん。レストランのビュッフェに並ぶオレンジ。たまに無性に食べたくなるグレープフルーツ。
すっかり私たちの日常に溶け込んでいる柑橘ですが、その品種ひとつひとつには、8000年の時を経て王侯貴族を魅了し、大陸と海を渡り歩いて世界に広がっていった壮大な物語が詰まっているのです。
第1の秘密:柑橘はフルーツのなかで最も謎めいた存在だった

柑橘は果物のなかでも、とりわけ謎めいた存在です。
その理由は、生物としての進化の歴史の中で、柑橘だけが築き上げてきた「途方もなく複雑な血縁関係」にあります。
柑橘にはなぜ、これほどまで多種多様な種類と品種が存在するのでしょうか。
それは、数千年の時を越え、異なる野生種やそこから偶然生まれた新種同士が交雑を繰り返すことで、新たな個性を持つ柑橘を次々と生み出してきたから。もちろん、人類が品種改良を行いはじめるよりもずっと以前にです。
オレンジ、レモン、グレープフルーツなどや、日本を代表する温州ミカンを含めて、古い品種たちは地球が品種改良した奇跡の結晶といってもよいでしょう。
最新の研究では、10種類の野生種がすべての品種の祖先だとされています。家系図を遡れば遡るほど、網の目のように密接に絡み合っていく不思議な一族、柑橘。 私たちが何気なく食べている一玉一玉は、まさに神秘の塊なのです。
第2の秘密:ほぼすべての品種が3つの野生種によって生み出された
柑橘の品種改良には10種類の野生種がかかわっているとお伝えしましたが、 実際にはそのなかのわずか3つの野生種によって、ほぼすべての品種が生み出されてきました。
その3つが、「ポメロ(ブンタン)」「シトロン」「マンダリン」になります。言い換えれば、現在の多種多様な柑橘の特徴である味・香り・形は、 これら3種だけにほぼ由来しているというわけです。
ポメロならではの特徴は巨大な果実。それから分厚い皮とプリっとした食感の果肉。酸味とともに広がる心地よい苦味も、長所として現代品種に受け継がれています。
シトロンは果実に対して果肉の割合が少なく、ゴツゴツとした分厚い皮をしています。最大の特徴は、果物のなかで一番といってもよいほどの良い香りにあります。柑橘特有の爽快に突き抜ける香りとキレの良い刺激的な酸味は、シトロンからもたらされました。
マンダリンのすごさは、3大野生種の中で唯一、甘みが強い果実をつけること。小ぶりで皮が薄く、手で簡単にむけるという便利さも有しています。
これらの特徴を知ると、何となく想像がつくようになったのではないでしょうか。
オレンジ、レモン、グレープフルーツの祖先やその血の濃さが。
ここで、ゲノム解析で明らかになった三大野生種の血の濃さを見てみましょう。

第3の秘密:柑橘発祥の地はヒマラヤ東南麓だった
柑橘のある景色といえば、青い空と青い海。地中海かカリフォルニア、フロリダあたりが生まれ故郷だと思っていた方もいらっしゃるかもしれません。
でも実際にはまったく違っていて、柑橘は正真正銘アジア生まれ。発祥の地は、ヒマラヤ山脈東南麓の中国雲南省、ミャンマー北部、インドのアッサム地方にかけてなのです。

なお、柑橘共通の祖先種が出現した時期は、約800万年前だったとされています。
この祖先種から、地球の環境変化に適応するかのように、ポメロは南に、シトロンは西に、マンダリンは東に分布域を広げていきました。
それでは、人類が柑橘を栽培し始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
中国やインドでは、紀元前8000年から1万年前にはすでに栽培が行われていたとされ、古代から人々の生活に柑橘は深く根付いていたことがわかります。
オレンジですらアジア生まれだったとは、ちょっと驚きですよね。
第4の秘密:生産量でも柑橘は特別な存在だった
国際連合食糧農業機関(FAO)による2024年の世界の果物生産量ランキングは、次の通りです。
1位:バナナ
2位:スイカ
3位:リンゴ
正真正銘これらがトップ3で、以下、4位:オレンジ、5位:ブドウと続きます。
スイカの2位には意外な気がするかもしれませんし、柑橘好きには悔しい結果かもしれません。
でも、安心してください。このランキングはあくまでもオレンジ単体のデータですから。
柑橘類全体で括れば、バナナを抜いて堂々世界1位の規模を誇っています。つまり地球上で最も多く栽培されている果物。それが柑橘なのです。
柑橘類の中での生産割合は、ざっくりオレンジ約50%、マンダリン約28%、レモン+ライム約15%、グレープフルーツ+ポメロ(ブンタン)約7%です。
近年のトレンドとしては、マンダリンにオレンジの香りを取り込んだタンゴールが登場し、オレンジのシェアを少しずつ奪っていっています。

第5の秘密:色名でもオレンジが圧倒的な存在だった
現在、多くのフルーツがそのまま色を表す単語として使われています。
オレンジ、レモン、ライム、ピーチ、チェリー、アプリコット、プラム、オリーブにバナナなどなど。
この中で、最重要な基本色として認識されているのはオレンジだけです。柑橘からオレンジ、レモン、ライムの3色が入っていることも、人類の色彩文化に柑橘がいかに深く根を下ろしているかを物語っています。
それでは、オレンジという色名が定着した時期は、いつどこでだったと思いますか?
正解は、16世紀初頭のヨーロッパでした。言い換えると、それまではオレンジという色名はなく、人々はイエローレッドと呼んでいたのです。
つまり、果物のオレンジがヨーロッパに普及したことによって、初めてオレンジという色名が誕生したのでした。

第6の秘密:柑橘はヨーロッパの文化に大きな影響を与えていた
西へと向かった柑橘は、シルクロードを経て、中東、アフリカ、そしてヨーロッパへと広まっていきました。
まっさきに伝わったのがシトロンです。シトロンは紀元前4~3世紀頃、アレキサンダー大王の東方遠征によって、ペルシャからギリシャへ持ち込まれたと言われています。 当初は食べるためではなく、芳醇な香りを生かして香水や防虫剤、あるいは毒消しの薬として珍重されました。
シトロンに続いて入ったのがレモンで、紀元前1世紀頃です。ローマではその爽快な香りが人々を魅了し、富と権力の象徴として扱われるようになりました。
その後8世紀頃に、アラブ人によって酸味の強いサワーオレンジ(ダイダイ)がシチリア島に持ち込まれています。こうしてイタリアがレモンとサワーオレンジの産地となったのでした。

第7の秘密:メディチ家によってオレンジが富の象徴となった
14世紀、イタリアから始まったルネサンス期にフィレンチェを支配し、フィレンチェをルネサンス文化の中心地にしたのがメディチ家です。メディチ家は代々柑橘の収集と栽培に熱心に取り組みました。特にコジモ3世は、116種類もの品種で庭園を飾ったことで有名です。
メディチ家はオレンジを自らの権力を示すためだけでなく、権威性を高める道具としても活用しています。
ギリシャ神話のヘラクレスは、当時誰もが憧れた英雄です。ヘラクレスが苦難を乗り越えて、ヘスペリデスの庭園から黄金のリンゴを盗み出す物語は、特に人気がありました。なんとメディチ家は、庭でこのシーンを、黄金のリンゴをオレンジに変え、彫像を用いて再現したのです。
メディチ家はオレンジを通じて、ヘラクレスとメディチ家との関係性を世の中に印象づけようとしたのでした。

ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『春』は、メディチ家の依頼で描かれた傑作です。じつは、どちらも背景にオレンジの木が描かれています。これらの名画もまた、オレンジが当時どれだけ特別な存在であったかを、今に伝える証拠のひとつなのです。
こうしてオレンジ栽培は、富の象徴として貴族たちに広まっていきました。そして17世紀には、ルイ14世が3000鉢もの柑橘の木を越冬させるために、ベルサイユ宮殿の庭園に特別な建物を作らせるに至ります。
そう、冬にオレンジを守るために作った豪華な石造りの建物が進化して、今の全面ガラス張りの温室に発展したのです。
その面積はじつに約3000平方メートル。サッカーコート約半分の広さのこの建物は、オランジェリーと呼ばれるようになりました。
ベルサイユ宮殿のオランジェリーでは、現在でも1200本~1500本の柑橘の鉢植えが栽培されており、そのうち900本以上がオレンジで占められています。
なお、アメリカにオレンジが持ち込まれたのは1870年。ニューヨーク州とカリフォルニア州に同時でした。
第8の秘密:グレープフルーツはカリブ海で発見された

グレープフルーツは、カリブ海最東端の島バルバドス島で18世紀に発見されました。長い長い柑橘の歴史の中では、かなり新しいタイプなのです。また、アジアではなく新世界で生まれたとても珍しい柑橘だともいえます。
グレープフルーツは、ヨーロッパから17世紀半ばに入ったポメロと17世紀後半に導入されたスイートオレンジが、島内で自然交雑した結果、誕生しました。そして19世紀初めに、ジャマイカ人によってグレープフルーツと呼ばれるようになったのです。名前の由来は、ひとつの枝にまるでブドウの房のようにびっちりと実をつける特徴からでした。
グレープフルーツはその後、1823年にアメリカに持ち込まれ、フロリダで栽培されるようになりました。しかし、独特な苦味と皮のむきにくさが嫌われて、アメリカ人には受け入れられなかったのです。
この状況が変わったのは19世紀後半でした。フロリダからニューヨークへの鉄道が開通したことにより、大都会の高級ホテルが、半分に切ったグレープフルーツを冬場の朝食メニューに取り入れるようになってから。最初は、味というよりもファッションとして受け入れられたのです。
1906年にはフロリダでピンクの果肉の突然変異が、1929年にはテキサスでルビーの果肉の突然変異が発見され、見た目の華やかさが加わったことで、グレープフルーツは不動の人気を誇るまでになったのでした。
第9の秘密:日本オリジナル、温州ミカンとその来歴

日本を代表する柑橘といえば、温州ミカンで決まりでしょう。柑橘発祥の土地から東に向かったマンダリンが、天草諸島の南端、長島で芽を出しおいしい実をならせたものが温州みかん。したがって、温州と中国っぽい名前がついていても、温州みかんは完全に日本オリジナルの品種なのです。
ゲノム解析によって、温州ミカンは、紀州みかんにクネンボが交配されてできたことが明らかにされました。
江戸時代初期にはその存在が知られていた温州みかんでしたが、なぜか日本人が食べるようになったのは明治時代になってからでした。それ以前の日本人は、小さいうえにタネの入る紀州みかんを好んでいたのです。
タネが入らない不気味なミカンは縁起が悪い。温州みかんを食べると子宝を授かれなくなりそう。
こんな江戸時代の人たちの気持ちが伝わってきますね。
温州みかんの1人あたりの消費量は、1973年には史上最高の23.1kgに達しました。これはシーズン中に日本国民全員が200~300個食べていた換算になります。しかし直近2023年の調査では3.16kgと、7分の1以下にまで減ってしまっています。
じつは温州ミカンは品種名ではありません。温州ミカンには枝変わりの品種が多数存在し、113もの品種が農林水産省の調査対象になっているのです。
温州ミカンの苗木が初めて海外に輸出されたのは、1876年(明治9年)です。これ以降鹿児島産の苗木がアメリカへ輸出されると、Satsumaという品種名で流通するようになり、今でもアメリカではSatsumaで販売されています。
第10の秘密:タンゴールはこうして生まれた

タンゴールとは、タンジェリン(Tangerine)にオレンジ(Orange)の華やかな香りを取り込んだ、皮のむきやすい品種たち。両種の頭文字を取ってタンゴール(Tangor)と呼ばわれるようになりました。
タンジェリンはマンダリンに含まれており、赤味の強い果皮と豊かな香りが特徴です。
タンゴールは日本では耳慣れない名前ですけれども、じつは昔から大量に生産されているある品種もタンゴールだったりします。何だか想像がつきますでしょうか?
答えは「伊予柑」です。
それから「清見」と「清見」の子どもの「不知火(デコポン)」「はるみ」「せとみ」「はるき」「西之香」。さらに性質をマンダリンに近づけた「みはや」「せとか」「天草」「津之輝」「佐賀果試35号(にじゅうまる)」「あすみ」「甘平(紅かんぺい)」。
「清見」の血筋ではないですけれども、「マーコット」「ポンカン」「麗紅」「愛媛果試第28号(紅まどんな)」などもタンゴールです。
したがって「愛媛果試28号(紅まどんな)」と「甘平(紅かんぺい)」の交配から生まれた「愛媛果試48号(紅プリンセス)」もタンゴールということになります。
「柑橘の歴史ーいますぐ誰かに話したくなる10の秘密」はいかがでしたでしょうか?
これらの秘密と物語を知ったあとでは、柑橘を食べる瞬間が少し特別なものに変った気がしませんか?
日本の柑橘の歴史や各品種が育成された経緯については、拙著『日本の果物はすごい』でもたっぷりと語らせていただきました。
次々と登場する新品種をそのまま味わう時、柚子や他の高酸柑橘を料理に使う時、この本が、あなたと柑橘の距離をより近づけるきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。




























