
瀬戸内海に浮かぶ大崎上島。竹原港からフェリーで約20分、この島にポッカサッポロフード&ビバレッジが自ら運営するレモン農場があります。輸入レモン果汁で事業を広げてきた同社が、なぜ今、国産レモンの栽培に取り組むのか。その理由を確かめたくて、現地を訪ねました。

広島県と愛媛県の間に位置する大崎上島は、山がちな地形が広がる島です。平地は少なく、現在の人口はおよそ6,500人。フェリーから眺めるかぎり、とてもここがレモンの一大産地には見えません。
白水港で迎えてくれたのは、原料ビジネス推進部の髙寺恒慈さん。麦わら帽子が似合いすぎる寡黙な方でした。

島に単身従事する、元ウメ研究者
髙寺さんが大崎上島に単身赴任したのは、農場の開設当初のこと。以来、この島に定期的に滞在するポッカサッポロの社員は、髙寺さんただ一人です。
じつはこの髙寺さん、もともとは他社でウメ等の機能性研究開発一筋だった研究者なのです。
果実の機能性研究をさらに極めたいと転職し、その後、ある日突然、島でレモン栽培に携わることが決まったそうです。
さて、ポッカサッポロの看板商品といえば、「ポッカレモン100」。輸入果汁を用いたポッカレモンが誕生したのは1957年(昭和32)。これは1964年のレモン輸入自由化よりも前ですから、ポッカレモンは日本の食卓にレモン果汁という新たな食文化を届けた商品ともいえます。
当然、輸入レモン果汁は同社の事業を担う中核原料ですし、レモン飲料や機能性に関する研究開発のリーディングカンパニーであり続けています。
そんなポッカサッポロが、この島で自社によるレモン栽培に踏み出したのは2019年4月のこと。大崎上島を選んだのは、町としてレモン栽培に積極的で、企業の参入にも協力的だったからです。
ただ、そのスタートは決して恵まれたものではありませんでした。自社圃場として選んだのは耕作放棄地。さらに、島内にはポッカサッポロのサテライトオフィスがあるのですが、実態は空き家だった一戸建て。決して恵まれた職場環境とは言えません。
それでも髙寺さんは、こう語ります。
「海外から調達するだけでなく、自分たちも国内で生産することにより、レモン事業を持続的に続けられるようになります。国内産地の皆さんとともに、それぞれの地域を盛り上げていくうえでも、ここで積み重ねた経験がきっと役立つと考えています」
たった一人で島に滞在し、前例のない挑戦を続ける日々。孤独を感じることはないのかと尋ねてみたら、髙寺さん少し考えてから、こう続けました。
「寂しいと感じることはありませんね。弊社にとって前例のない取り組みをしているという実感がありますし、ここでの仕事の結果は、レモンの木の状態や果実の品質・収量として表れます。この緊張感と充実感は、都会のオフィス勤務では味わえません」
静かな口ぶりの中に、確かな誇りが感じられました。
130年前の偶然から始まった、広島レモンの奇跡
レモンが日本に入ってきたのは明治初期。寒さや病気に弱いうえに日本人好みにも合いにくかったため、レモンは珍品カンキツの一種でしかありませんでした。
広島に初めて植えられたのは1898年(明治31)、大崎下島でだとされています。
それもレモンを植えようと考えた人がいたわけではなく、注文したネーブルオレンジの苗木の中に偶然レモンも混じっていたからだったのです。
そもそもレモンは寒さと多雨を嫌いますから、仮に生産したくても安定して栽培できる地域は日本にはないに等しい状況でした。
その中で瀬戸内の島々だけが、日本で唯一、レモン産地になる可能性を秘めた土地だったのです。
その条件とは次の4つ。
・冬の冷え込みが比較的穏やか
・雨が少なく日照に恵まれている
・水はけのよい傾斜地が多い
・果皮に傷をつけにくい風の弱さ
レモンと大崎下島との出会いは、まさに奇跡としか言いようがありません。
大崎下島の北隣にあるここ大崎上島でも、1900年代初めにはレモン栽培が始まり、戦前から戦後にかけて、洋食の普及とともに瀬戸内の島々でレモン畑が広がっていきました。1963年頃には、大崎上島のレモン栽培面積は130ヘクタールを超え、「黄金の島」と称されるまでに発展したのです。
しかし、この直後に状況は一変します。
1964年(昭和39)のレモン輸入自由化です。安く大量に流通する輸入レモンが主流となり、国産レモン産地の多くは撤退に追い込まれました。特に大崎上島が受けた影響は深刻で、1980年代後半には、自家消費用の木がわずかに残る程度にまで生産が落ち込みます。
それでも、広島県のレモン生産は途絶えませんでした。安心な国産レモンを求める声までが大きく落ち込むことはなかったためです。
現在、大崎上島の栽培面積は約50ヘクタール。瀬戸田(生口島・高根島)、大崎下島に次ぐ県内3位の産地に回復しました。
ポッカサッポロが大崎上島に農場を構えたのは、この途切れなかった歴史の上に立つ選択でもあったのです。

広島県は国産レモンの約55%を収穫している大産地です。レモンの栽培面積で広島県が日本一になったのは1947年(昭和22)でしたから、すでに78年間も絶対王者の座を守り続けているのです。
広島県では、瀬戸田、大崎下島、大崎上島が3大産地で、全体の8割以上を占めています。
それぞれの特徴をひと言で言い表わせば、
・知名度と信頼、絶景とレモングルメの「瀬戸田レモン」
・歴史と伝統、最古の産地と石壁の「大長レモン」
・復活と挑戦、次の時代を創る「大崎上島レモン」
でしょうか。
また、JAひろしま管内の瀬戸田では「リスボン」、JA広島ゆたか管内の大崎下島と大崎上島では「ビラフランカ」と、生産品種がきれいに住み分けられているのも特徴です。
「未来」を試す平坦地、「過去」を守る急斜面のレモン畑

大崎上島のレモン畑の多くは傾斜地。作業は重労働になりやすく、高齢化や担い手不足といった、日本の果樹産地が共通して抱える課題にさらされています。
ポッカサッポロが国産レモンの生産をはじめた理由は明快です。
「国産レモンを使うだけでは、産地の課題は見えてこない。実際に自社農場で社員が栽培し、収穫することでしかわからない価値がある」
こうした判断からでした。厳しい現実のど真ん中に自社圃場を構え、髙寺さんは現場責任者として送り込まれたというわけです。
現在、同社は島内に3か所の圃場を持ち、約300本のレモンを栽培しています。島内では規模的に中規模の生産者です。出荷は9年目を迎え、1本あたりの収量は約70キログラムになります。品種は「ビラフランカ」がほとんどを占めています。
もっとも広い島北部・中野地区の圃場は、島内では珍しい平坦地。かつて水田だった土地を土盛りし、レモン栽培に適した圃場へと改良しました。ここでは、最先端の栽培試験が行われています。
一方、南部・沖浦地区の圃場は、転がり落ちそうなほどの急斜面です。島の典型的なレモン畑は、ひと目見ただけで足場の悪さと高低差の厳しさがわかります。18キログラムになるコンテナを持って日に何10往復もするなんて信じられません。
この斜面の角度が、国産レモンが輸入レモンより高くなる理由を教えてくれました。

国産に切り替えないからこそ、レモンの総需要拡大を目指して国産を育てる
取材で特に印象的だったのは、国産レモンに対するポッカサッポロの姿勢です。同社は2025年9月に、国産レモンの生産振興を目指す農業法人を3社共同出資で静岡県に設立したばかり。ところが同社は、原料を国産に置き換えることを目標にはしていませんでした。
レモン果汁には、輸入果汁と国産果汁、それぞれの役割があります。
輸入果汁は、量と品質を年間通じて安定的に確保でき、日常的に飲まれる定番商品を支えてきました。同社が輸入している果汁は、アルゼンチン産、イスラエル産、イタリア産が中心です。
青果として見た場合、海外産と国産とではほとんど品質に差はないそうですが、果汁として比較すると、国産のほうが香りを強く感じる人も結構いるようです。
こうなると大崎上島産レモンが、いったいどのような商品に使われているのかが気になってきます。
答えは、中国・四国エリア限定の「瀬戸内レモンレモネード」と「業務用 瀬戸内レモンレモネードベース」でした。

いずれも、量は追わず、広島瀬戸内レモンの物語を伝えやすい商品に限定して展開されています。
自社農場はレモン産地の未来を考える実験場だった
大崎上島のポッカサッポロ農場は、単なる原料供給拠点ではありません。
繁忙期には社員自らが実際に農作業に携わり、剪定や収穫、病虫害対策を経験することで、産地の課題を自分事として理解する場でもあります。
大崎上島町、広島県立大学と連携した「レモンと健康」に関する研究など、レモンを軸にした地域との関わりも広がっています。
島内では「地域と一体となって国産レモンと町の知名度を高めてくれる存在」として認知され、レモン農家になるという夢をもつ移住者に対するきっかけにもなっています。
自社圃場で生産と栽培試験の両方を行っているからこそ、「国産レモン使用」という表示に重みが感じられるようになりました。
ポッカサッポロの国産レモンの取り組みは、広島レモンの歴史を受け継ぎながら、次の100年を現実的に描こうとする試み。この島の農場は、国産レモン全体の実験場だったのです。
「若手社員が本気で農業をやりたいという気持ちになってくれたらうれしいですね」(髙寺さん)
現場と歴史を知ることで守られる国産レモン
平坦地と傾斜地、黄色い実が揺れる両方のレモン畑に立って周囲を見渡してみると、「国産レモン」という言葉の重みとありがたみが、自然に伝わってきます。
なるほど。国産レモンの価値は安心だけではなく、香りそのものにも宿っているのです。
広島瀬戸内レモンのブランド価値は、偶然と120年以上にわたる試行錯誤と積み重ねがあってこそ。
イエローレモンにグリーンレモン、レモンを丸ごと使う時。そしてレモン飲料を飲む時。国産レモンの最前線と広島レモンの歴史までも一緒に味わう人が増えることが、国産レモンを次の100年につないでいくのでしょう。
これはレモンに限った話ではありません。私たちがふだん何気なく食べている他の農作物にもきっと隠れているはず。
髙寺さんが島に送り込まれた理由と、髙寺さんが時おり見せた誇らしげな表情の意味が、帰りのフェリーの中でようやくわかった気がしました。

写真はすべてポッカサッポロフード&ビバレッジ提供
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